5分でわかる!アガサ・クリスティー

アガサクリスティは、知ってますよね!その通り、皆さんもご存じの通り、超有名な女流推理作家ですよね。

有名な作品としては、「アクロイド殺し」「オリエント急行殺人事件」「そして誰もいなくなった」「ABC殺人事件」などでしょうか。本では2度読んだし、映画では何度も見ました。この話だけで語りたいくらいです。違う機会に話したいと思います。

映画にもなっているので知ってますよね。

どんな風にこれらの作品が作られたのか、アガサ・クリスティーの人物像をなぞ解いてみましょう。

誰よりも若く見られるのはやっぱり優越感だよね。

生い立ち

1890年イギリスのトーキィで生まれました。3人兄弟の末っ子でとても裕福な家柄でした。姉と兄とは歳が離れていました。しかも母親の教育方法でアガサだけは学校には行かせずに自分で教育することに決めました。使用人たちはいますが、家の中で子供はアガサ一人だけでした。5歳の時に友達ができました。それはペットの犬でした。(笑)

しかしながら、フランス語を習い、水泳も覚え、ピアノやダンスの練習、演劇鑑賞やお祭りなど、アガサは幸せな毎日を過ごしていました。そんな中、11歳の時、大好きな父親が肺炎で亡くなったのです。

14歳の時

初めて、学校に行きました。しかし、母は独特の感性だったようでひとつの学校にはこだわらず色々な教育をアガサに受けさせました。学校は変わってもずっと熱心に取り組んでいたのが「ピアノと声楽」でした。

16歳の時。

ピアノの先生に質問しました。

アガサ   「先生、私はもっと努力したらプロのピアニストになれるでしょうか?」

ピアノの先生「練習を積めば演奏の技術は上がるだろう。ただ。正確的に君はピアニストとして舞台の上で力を発揮することは難しいように思う。」

と言われました。

声楽の先生にも質問しました。

アガサ   「先生、私オペラ歌手になれますか?」

声楽の先生 「とても綺麗なソプラノよ。練習を積めばコンサート歌手にはなれるわ。でも、あなたの声はオペラ向きではないわ。力強さが足りないの。それは訓練では補えないものよ。」

2人の先生とも一流の先生だから、きちんと本当のことをアガサに伝えたのである。日本の先生なら、頑張れば夢は叶うと適当なことをいうだろう。

しかし、今まで、頑張ってきた「ピアノと声楽」では、趣味にしかならないと知ったアガサの落ち込みは大きなものでした。

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18歳の時。

インフルエンザの回復期に、姉の影響で短編小説を書き始める。何本も短編小説を書きました。そして、そのたびに、出版社に送ってみたのです。でも、どれも採用されずに送り返されてきました。それでも、アガサは書くことが楽しかったのです。小説家になろうなんて考えていませんでした。物語を考えること、それを形にすることが楽しかったのです。

その頃、長編推理小説を書いた。「砂漠の雪」である。当時売れっ子の小説家イーデン・フィルポッツが近隣に住んでいたので、アドバイスを受けた。しかし、結局不採用となった。後にイーデン・フィルポッツから受けたアドバイスが小説家への道へといざなうのでした。

挑戦しては失敗していくことで、人前に出ることが苦手な内気な性格だったアガサは、新しい世界へ恐れることなく飛び込んでいける強さの持ち主へと変わっていったのです。

24歳の時。

ダンスパーティで知り合ったアーチボルド・クリスティーという一つ年上の男性と結婚しました。アーチボルトは軍人だったため、結婚してすぐに戦場へと行ってしまいました。その年の夏に第一次世界大戦が始まっていたのです。

戦争はなかなか終わりませんでした。アガサは研修を受けて看護師として病院で働きました。休みなく献身的に働き続けたアガサはある時、インフルエンザをこじらせて倒れてしまいました。

1か月後、無事に回復して職場に戻ると、病院には新しい部門が出来て、薬剤師の仕事をすることになりました。アガサは多くの薬の知識を身につけていったのです。薬の名前、量のはかり方、調合適量、効能、副作用、その症状など。その知識を小説にも生かそうとします。

26歳の時。

探偵小説処女作「スタイルズ荘の怪事件」を2週間で書き上げます。

探偵エルキュール・ポアロの誕生です。

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29歳の時。

愛娘ロザリンドの誕生

30歳の時。

「スタイルズ荘の怪事件」が刊行されます。初めて本になったことに大喜びしました。

33歳の時。

夫のアーチーに2年後の大英帝国博覧会を成功させるために、大英帝国の植民地を回って各自治領の協力を取り付ける仕事が舞い込みました。アーチーとアガサは世界一周旅行の冒険に出掛けました。

イギリスに帰ってくると、すぐに小説を書くことをはじめました。

34歳の時。

「茶色の服の男」の印税で自動車を購入しました。この当時、運転免許なんてなく、独学で運転技術を身につけるものでした。後の自伝で、車を買った時が人生で一番緊張したと語られています。

36歳の時。

「アクロイド殺し」が刊行!トリックが大胆ということでアガサの代表作のひとつになりました。しかし、この年に最愛の母が亡くなってしまいます。

38歳の時。

「青列車の秘密」が刊行。この年すれ違いとなっていた夫のアーチーと、離婚することになったのです。

「青列車の秘密」を書いた時にアガサは自伝で話しています。

「ちっとも面白いと思えないし、全然楽しくない。なのになぜ書かなければならないの?書くということで収入が得られるから?書くことが私の仕事?」楽しみでもなく生活のために「青列車の秘密」を書き上げた。この時私は本当の「作家」になったのかもしれないと。

クリーニングは、今やネットの時代だよ。持っていかなくても取りに行かなくても良くて便利!

39歳の時。

オリエント急行で旅に出ます。フランスのカリーからイスタンブールまでのオリエント急行で未知の世界への大冒険です!

オリエント急行の乗客には本当に色んな国の人が乗っていました。列車の中というのは、限られた時間、限られた空間、否応なく閉じ込められる人々、被害者も犯人もそこにいる。逃げ場はなく最高の舞台です。構想は日常のふとした瞬間に思い浮かびました。人間観察も欠かせません。そうして思いついた数々のアイデアをパズルのように組み上げてアガサは小説にしていったのです。

バクダットでの発掘品などは見たこともないものばかりで、本当に楽しい旅行だったと自伝で話しています。

40歳の時。

メソポタミヤ旅行中に考古学者マックス・マローワンと知り合い再婚する。マックスは15歳年下の25歳でした。

この年に真実を見通す力を持ち、人間のそのままを受け入れる優しさを持つ

ミス・マープルが誕生します。

そう!「牧師館の殺人」です!ミス・マープルのフアンは結構多いと思います。アガサは2大名探偵を作り上げたのです。

エルキュール・ポアロミス・マープルです。

その後

アガサ・クリスティーは精力的に探偵小説を書きました。

「オリエント急行殺人事件」

「ABC殺人事件」

「そして誰もいなくなった」

どれも、思い出すだけでワクワクする作品ですよね。犯人が分かっても何度も見てしまうのは僕だけでしょうか?

53歳の時。

第二次世界大戦が激化してきました。万が一のことを考えて、ポアロとマープルの話の完結話を書き上げておきました。

ポアロ最後の事件「カーテン」

ミス・マープル最後の事件「スリーピング・マーダー」

アガサの書いた推理小説は人気でした。1961年にはユネスコによってアガサが世界最高のベストセラー作家であると認定されました。彼女の本は世界102ヵ国で売られているとされ、当時の日本でももちろん発売されていました。日本の有名な作家である江戸川乱歩や横溝正史もアガサ・クリスティーのフアンであることが有名です。作家として成功を収めても、なおアガサは精力的に書き続けました。

やっぱり、サクサクはストレスフリーだよね!

享年85歳。

第二次世界大戦中に書かれた、2冊「カーテン」「スリーピング・マーダー」は希望通りアガサの死後に出版されました。

最後に

アガサ・クリスティーといえば、探偵小説ですよね。人が傷ついたり傷つけられたりするそんな内容の小説がなぜ世界一といわれるほど人々に愛されたのでしょう?

彼女の作品はどれも見事に組み上げられたパズルのようで謎を解く面白さを純粋に味わえるからです。そして、きっと作品にあふれるアガサの心が読者へと力強く伝わるからだと思います。是非、読んでみてください。または映画などで観てみてください。

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