5分でわかる!コロンブス

新大陸を求め、黄金の国ジパングを目指し冒険に旅立ちます!果たして彼は何を発見するのだろうか?最果ての地レフリルはあるのか?強い信念と希望をすてない心が夢を叶えたのです。

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幼少期

西暦1451年イタリアのジェノバで生まれました。コロンブスは船が大好きで、弟のバルトロメといつも港に遊びに行ってました。ヨーロッパではこの頃、丈夫な船が作られ遠くへの公開が始まろうとしていました。まさに世は「大航海時代」の幕開けでした。

コロンブスは教会の神父さんにいろんなことを教えてもらっていました。特に心を掴まれたのは、マルコ=ポーロの東方見聞録に出てくる「黄金の国ジパング」のお話でした。

やがて、コロンブスは父の商売の手伝いをきっかけに船を乗り始めました。ジェノバの商船に乗ってフランスや他の国に荷物を運ぶ仕事に就きました。

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青年期

コロンブス(25歳)は立派な船乗りになっていました。フランドルに向かう途中の、ポルトガルのサン・ビセンテ岬の沖にさしかかった時です。フランスの軍艦に攻撃されて商船団は全滅して海に沈んでしまいました。当時はフランスとブルゴーニュは争っていたからです。コロンブスは奇跡的に、地元の漁師に助けられ一命を取り留めました。体力を回復すると、弟がいるポルトガルのリスボンに住みました。

命を拾ったおかげでコロンブスは変わりました。「黄金の国ジパング」を本気で探すことにしたのです。人生は一度きりなのです!弟のバルトロメは地図職人になっていたので、そこで航海術、天文学、地理学、語学など知識を吸収していきました。

この頃、地球の果てはたいらで海が滝のように流れ落ちているという考えが一般的でした。その中で学者トスカネッリが「地球球体説」を唱え始めていました。しかし、まだだれも球体であることを証明できずにいました。

コロンブスは「地球球体説」を信じれば、新たな西回り航路があり、その先には「黄金の国ジパング」があると考えたのです。

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この頃はアジアに行くにはアフリカを南下するルートしかなかったのです。

コロンブス(29歳)は計画は練りましたが、実現するためには資金がかかります。そんな大金を持ち合わせてはいませんでした。そんな時に、教会でフェリパと出会い結婚します。そして長男ディエゴも生まれ幸せな生活でした。このまま夢を見るのではなく、この家庭を大切にさえしていればいいのだと。

そんな矢先!アフリカのエルミナに向かう船団の中にいたコロンブスは、漂流者と出会います。この漂流者が言うには、

「船が難破して、はるか西の海へと流された。その先に島があったんだ。文明の違う者たちがいた。」と。もっと情報が欲しかったがその男はあっけなく死んでしまった。

コロンブスは決めました。

「西回り航路を見つけ出す!夢を現実にする時だ!」

コロンブス(33歳)はポルトガル王ジョアン2世に面会を求めました。西回り航路探検は許されましたが、資金援助は受けれませんでした。資金はとても個人で用意できる額ではありません。その後何度も王宮を訪ねましたが返事は同じでした。この時期に愛する妻フェリパが亡くなってしまいます。ポルトガルではダメだと見切りをつけて、息子ディエゴを連れてスペインに向かいます。

スペインのラ・ラビダ修道院でファン・ペレス神父にお世話になる。

スペインのカトリック両王に会うことができた。航海計画を検討すると言われるが、審議会により不採用となる。不採用の理由は、今はグラナダとの戦争をしているからそれが落ち着いたらとのことだった。

イザベル女王に謁見することができ、航海計画を提案するがすぐに返事はされなかった。

何年かが過ぎ去ってしまった。

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夢の向こうがわへ

コロンブス(41歳)にイザベル女王からの使いの早馬がやってきた。航海計画がやっと承認されたのです!

コロンブスに、「サンタ・マリア号」「ピンタ号」「ニーニャ号」の3隻の船が用意されました。

1492年8月3日コロンブスの船団がインディアスを目指さして出航しました。ようやく叶った航海への期待でコロンブスの胸は躍っていました。しかし、集められた船員の間には不安が広がっていました。

「地球が丸いなんて信じられねえー、地の果てには怪物がいるんだ!」と船員たちは口々に叫んでいました。言うことを聞かなかったり、舵を壊したりと順風満帆に航海はなかなか進みませんでした。ついに、船員による反乱が起こりました!コロンブスは条件を出します。

「あと3日!西に進んで陸地がなければスペインへもどる!」

三日後、枝を海水面に見つけた。陸地が近い証拠を見つけたのだ。後で分かったことだが、新大陸までの距離はコロンブスが思っていた距離よりも3倍も遠かったのだ。

そして、ついに!西の果てに島を発見したのだった!

コロンブスは、ついにアジアにたどり着いたと思いました。しかし、それは勘違いで本当はアジアではなくヨーロッパの人々が知らなかった「アメリカ大陸」でした。インドに住んでいる人と勘違いしてインディアンと名付けたのでした。

コロンブスは先住民と珍しいものを交換しましたが黄金は少しも出てきませんでした。周りの島をもっと探検することにしました。次々と島を見つけましたが、やはり黄金は出てきませんでした。

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コロンブスは一度スペインに戻ることに決めました。その中で39人が島に残りアメリカ大陸初の住人になりました。偉大な航海かを成し遂げて、スペインに帰ってきたコロンブスは人々から熱狂的に迎えられました。王宮でも連日連夜の大宴会が催され多くの人たちから祝福の言葉を贈られました。女王陛下からは新たな土地にカトリックの教えを広める英雄だとコロンブスは称えられました。

1493年にコロンブスは2回目の航海に出航しました。39人残った入植地は全滅していました。残った者が先住民にひどい暴力をふるったために反撃されたのです。新たな島々を探検しましたが、今回も「黄金の国ジパング」の発見には至りませんでした。

コロンブスはそのあと4回もの航海をしましたが、大きな成果がありませんでした。

コロンブス(53歳)の時、最大の理解者であるイザベル女王が亡くなりました。

西暦1506年5月20日クリストファー・コロンブスは亡くなりました。享年55歳。看取ったのは家族だけでした。偉大な探検家としてはあまりにもさみしい最期でした。

コロンブスは、幼いころに抱いた夢を決して忘れることなく、貧しくても無視されても決してあきらめずに、遥かな海を越え新しい航路を切り開いたその精神は、後に「バスコ・ダ・ガマ」や「マゼラン」に受け継がれ、私たちの地球が球体であることを証明したのです。

その勇気ある探検家の精神は永遠に輝き続けているのです。

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