5分でわかる!クレオパトラ

世界3大美女の中の一人とされるクレオパトラ。彼女はどのような人だったのであろうか?なぜ、3大美女の一人と言われるのか?一緒に学んでみましょう。

お家で頭皮エステする時代です。話題のデンキバリブラシ(櫛)!

クレオパトラの人生

紀元前69年にエジプト王の三女としてクレオパトラは生まれました。古代エジプトはナイル川の恵みを受け栄えた国でした。クレオパトラが生まれたとき、エジプトはアレクサンドロス領の自治区で、父であるプトレマイオス12世が治めていました。

エジプトのアレクサンドリアはあらゆる物が集まる地中海一の国際貿易都市でした。

アレクサンドロス大王が亡くなった後、3人の家臣たちによって建国された王朝も、エジプト以外は次々とローマに侵略されて滅びてしまいました。

ローマは次はエジプトを狙っているのではないか?

支配されれば国民はローマの奴隷にされて国土はローマのための道具にされてしまうのではないか?

エジプトを治めていた父は不安に考えていました。

車に乗れば、事故は避けられないものですよね。その時に頼りになるのはやっぱり保険。

ローマ軍のエジプト侵攻

そんな時にローマ軍がキプロス島(エジプト領)に進軍します。キプロスは父の弟が治めていました。何度も援軍の要請が来ましたが、父は援軍を出さずに弟を見殺しにしてしまいます。そのことによって、エジプトの市民から王は信用を失います。市民運動によりクレオパトラの父である王はエジプトから追放されます。父は敵であるローマに逃げ込みました。

その後、長女が王位を継ぎましたが、病気で亡くなりました。次に次女(ベレニケ)が王位を継ぎ王女となりました。クレオパトラが14歳の時、父がローマ軍を引き連れてエジプトに攻め込んできました。ローマ軍の圧倒的な強さでエジプト軍はあっけなく敗れてしまいました。さすがはローマ軍、地中海最強の軍隊の証明でした。

そして、父は再び王位に就きました。ローマの兵隊はエジプト王の軍隊としてエジプトに留まりました。そのおかげで国内は平和になりました。しかし、エジプトの中でローマの力が強くなっているとクレオパトラは感じていました。18歳の時、父(プトレマイオス12世)が亡くなりました。遺言として、王位を継いだのはクレオパトラと弟のプトレマイオス13世でした。

クレオパトラ王位となる。

クレオパトラはアラビア語、ヘブライ語、エチオピア語など数か国語を話せました。語学が分かることで通訳など政治的な嘘を見抜くことができたのです。また、儀式やお祭りなど積極的に参加することによってエジプト市民の心を掴んでいました。クレオパトラのコインも作られるようになりました。政治的にすごく敏感で、自国を守ることを一番に考えていたにちがいありません。

しかし、これを面白く思わないのが、王である弟のプトレマイオス13世と妹のアルシノエでした。2人はあの手この手を使い、エジプト市民の間にクレオパトラへの不平不満を高めていきました。こうしてクレオパトラの権力は王(弟)とその側近たちに奪われていきました。ある日、命の危険を感じたクレオパトラはわずかな友を連れてエジプト(アレクサンドリア)を離れました。必ず帰ってくるとクレオパトラは月に誓いました。

クレオパトラはエジプトの東方に向かい逃亡生活を始めました。この時、ローマはポンペイウスとカエサル(シーザー)の2大権力が争っていました。ローマは三頭政治でバランスを取っていましたが、クラックスが亡くなり残ったポンペイウスとカエサルがトップを巡り争っていたのです。

結局ポンペイウスは敗れて、エジプトに逃げ込みました。エジプト王(弟)とその側近達は、逃げて助けを求めにきたポンペイウスを殺してカエサルに送り届けます。エジプト王は勝利したカエサル側につこうと考えたのです。

しかし、カエサルはポンペイウスを殺す気はなく大事な友だった。まさか、同盟国エジプトに裏切りにあうとはと涙したのです。王(弟)はカエサルを逆に怒らせてしまったのです。

その情報を察知したクレオパトラは、なんとしてもエジプトを守らなければならないと考えこみます。カエサルの軍隊はエジプトに到着していました。なんとかエジプトに行って、王(弟)に見つからずにカエサルに会う方法を考えます。

そこで!誰もが知っている有名なシーンです!

「カエサル様に贈り物があります。」と絨毯が届けられます。

その丸まった絨毯を広げると、中から美しいクレオパトラが現れるのです。

この時、クレオパトラ21歳、カエサル52歳、二人は出会ったその時から惹かれあったのでした。プトレマイオス13世(弟)とカエサルは結局、戦争となりました。この戦争は4か月も続く長い戦いとなりました。結果としてはカエサルが勝ち、プトレマイオス13世(弟)は死んでしまいます。クレオパトラがエジプトの王位を継続することとなりました。カエサルはローマに戻ってしまいました。

話題のレギンス!履くだけで綺麗に見えちゃう不思議なレギンス。

カエサルの暗殺とアントニウスとの出会い

しばらくして、クレオパトラはカエサルとの子を生みました。名前をカエサリオンと名付けました。その後、カエサルはポンペイウスの残党に勝利するとローマでの地位を確かなものにしました。クレオパトラはローマで何年かを過ごしました。カエサルは順調に名実ともにローマ一の権力者になったのでした。しかし、カエサルの独裁政治を快く思わない者たちがいました。

これも誰もが知っている有名なシーンですね。

「ブルータス!お前もか!」

Vincenzo Camuccini, “Morte di Cesare”, 1798,

ジュリアス・シーザー(カエサル)が最後に言った言葉ですよね。この名セリフの通り、カエサルは暗殺されてしまいます。クレオパトラが25歳の時でした。

クレオパトラは、次はカエサルの子カエサリオンが狙われると可能性があると感じてエジプトにすぐに帰ります。ローマはカエサルが死んだあと、オクタヴィウスアントニウスレピドゥスの3人が第2回三頭政治が始まりました。

クレオパトラはエジプトのために、アントニウスを味方につけようとします。アントニウスはパルティア(現在のトルコ)遠征をするのに軍資金に困っていました。エジプトのクレオパトラに軍資金を要請します。クレオパトラはアントニウスの元に行きます。

クレオパトラはアントニウスを楽しませて接待をします。こうしてローマの有力者であるアントニウスの心をしっかり掴んだのでした。エジプトとローマの同盟を確かなものにしてクレオパトラはエジプトに帰りました。エジプトに帰るとアントウスとの双子の赤ちゃんを産みました。

しかし、アントニウスはオクタヴィアヌスの姉と政略結婚してしまいました。

水素水化粧品で敏感肌でもお肌に潤いのはりを感じます。

愛、再び

3年後、アントニウスから連絡があり、会うことになりました。

「パルティアを制圧して、力をつけてきたオクタヴィアヌスに対抗する!そのためにはあなたの力が必要なのです!」

とクレオパトラに伝えます。これはローマを私が取るから結婚してくださいとの意思表示なのです。クレオパトラとアントニウスは正式に結婚しました。

これからの戦いは

アントニウス VS オクタヴィアヌス

ローマをどちらが取るかの戦いです。兵士の数ではアントニウスの方が優勢でした。しかしアクティウム海峡での海戦によってアントニウス軍は全滅してしまいます。クレオパトラとアントニウスはわずかに残った艦隊とエジプトに逃げ延びました。

オクタヴィアヌスはエジプトに攻め込んできました。アントニウスは最後の戦いを挑みます。しかし、アントニウス軍は全滅してしまいます。

王宮に逃げ帰ってきたアントニウスはクレオパトラを呼びますがどこにも見当たりません。

「クレオパトラ様は霊廟(死体を入れる場所)に入られました!」

と聞いて、アントニウスは自害します。オクタヴィアヌスからクレオパトラは霊廟から引き出され、王宮の中に捕らわれの身となってしましました。

クレオパトラはオクタヴィアヌスに条件を出します。

「私は命を絶ちます。財産もすべて差し上げます。ですから、エジプトを属州(エジプトの民を奴隷にしないでください。エジプトの土地で破壊や略奪をしないでください!)にすることだけはおやめください!」

そう言い残すと、クレオパトラは蛇の毒によって自害しました。享年39歳。プトレマイオス王朝最後の女王として亡くなったのです。その後、エジプトはローマに支配されることになりました。クレオパトラがいなかったらエジプトはもっと早くローマに支配されていたでしょう。美しさだけではなく、知性と人としての魅力で偉大な二人の英雄を引き付けたエジプト最後の女王は、今も人々を魅了し続けるのです。

クレオパトラを称えた言葉

  • クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、世界の歴史も変わっていただろう。
  • クレオパトラは教養がありとても賢い女性だ。
  • クレオパトラとの会話は、まるで引力に引かれるように、聞く人を魅了する。
  • クレオパトラには、人々を引き付けてやまない魅力がある。
  • クレオパトラの声は、まるで楽器がかなでているようで、とても心地が良い。
  • クレオパトラは語学に優れ、数か国の言葉を話すことができた。

出会いってやっぱり大事。クレオパトラも積極的だったよね。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次の記事

5分で分かる!ノーベル