5分でわかる!レオナルド・ダ・ヴィンチ

レオナルド・ダ・ビンチといえば、有名なのはルーブル美術館で公開されている「モナ・リザ」ですよね。

レオナルド・ダ・ビンチはどんな人物だったのでしょうか?共に学んでみましょう。

彼は基本的に「画家」ですが、建築や科学などにも通じていてたくさんの発明をした人物です。我々、現代人は彼のことを「万能の天才」と言います。しかし、彼の本当の才能はただ一つだけです。物事を深く観察することだったのかもしれません。

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少年期

イタリアのフィレンチェのビンチ村で生まれ育ちました。

レオナルドの父は代々「公証人」の仕事をする名家でした。しかし、農家の娘カテリーナとの間に生まれたレオナルドは正式な後継ぎとして認められていませんでした。

子供の頃から、絵が上手かったダヴィンチは、13歳になるとフィレンチェのベロッキオの工房で働くことになりました。

この当時、ヨーロッパでは忘れられていた古代ローマやギリシャの古い文化を見直そうという動きがありました。これをルネサンスと言います。ルネサンスは文学・音楽・建築など全ての芸術に影響を与え、特にフィレンチェではその文化が花開いていました。

ベロッキオの工房では、彫刻に絵、金属細工に音楽、楽器制作、数学と工学を学んで建築もあり、様々な文化が集まっている所でした。ベロッキオ工房はフィレンチェの実権を握る名門貴族メディチ家のお抱え芸術軍団でした。

ダヴィンチは、「リラ」という楽器を制作して演奏の技を磨いたり、イベントの出し物の制作を手伝ったり、工房で数学や工学を勉強したりしたのです。

ありとあらゆる芸術を仕事にするベロッキオの工房にはたくさんの才能の持ち主が集まりました。

後に描かれることになる

「ビーナスの誕生」を描いたボッティチェリや「ピエタ」を描いたペルジーノなど、

いろんな、人と交流をして吸収していきました。日々修行をするレオナルドはめきめきと力をつけ20歳になると、一人前の画家として認められるようになったのです。

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青年期

ベロッキオの作品「キリストの洗礼」の絵を手伝うことになり、背景と天使をダヴィンチが描きました。あまりにも天使の気品がありすぎて、ベロッキオは衝撃を受けて、二度と筆をとることはなかったと言われています。

さらに

ダヴィンチとベロッキオの共作「受胎告知」では、天使と風景の構図で絵画の世界に新しい風を吹き込んだのでした。

その後も、肖像画などの仕事をこなし、ちゃくちゃくと頭角をあらわしていきました。

27歳になるとベロッキオの工房から独立しました。仕事の依頼も少しずつ入ってくるようになりました。

このころ、イタリア中の画家をローマに集めて、システィーナ礼拝堂の内部を飾る絵の依頼がありましたが、ダヴィンチは選ばれませんでした。フィレンチェでは第一人者になれなかった彼ですが、ミラノへの友好の使者に推薦されました。

フィレンチェは「芸術都市」

ミラノは「軍事都市」

という特色がありました。

ダヴィンチはミラノに行くことに決めました。

ミラノ公が必要としている「軍事技師」として自分を売り込むことにした。軍事技術の経験は全然なかったダヴィンチだったが、ミラノにいる専門家を尋ねたり、独学で勉強したのでした。どんどん知識を身に着けていったダヴィンチはいつしか本物の軍事技師となっていったのです。

そんなとき、デ・プレディス兄弟が「聖母子像」の祭壇画を依頼されたのですが、フィレンチェの画家であったダヴィンチに協力を求めにきました。

ダヴィンチとデ・プレディス兄弟の共作「岩窟の聖母」はミラノで描いた最初の作品でした。

しかし、依頼主の教会から聖母子像に光輪がないことでもめて、支払いが裁判にまでなりました。

その後、ダヴィンチに大きなチャンスが訪れたのです!

ミラノ公から父の騎馬像を作ってほしいとの依頼を受けました。騎馬像は名前の残る仕事なので時間をかけて構想を練りました。青銅の像はいわゆるブロンズ像は粘土で模型をつくり、その模型を別の粘土でおおい、隙間に銅を流し込んで作ります。

騎馬像の粘土模型は美しい出来栄えで完成したのですが、青銅が戦争によって使われるために騎馬像としての材料は足りなくなったのです。この動乱が落ち着くまで像の完成は待つことになりました。

青銅が手に入る間に、「最後の晩餐」を描いてほしいと言われました。「最後の晩餐」とは、イエス・キリストが処刑される前夜12人の弟子たちと共に夕食を取ったイエスが「この中の一人が私を裏切る」と予言する場面を題材にした絵です。

寝る間を惜しんで、ダヴィンチは「最後の晩餐」の壁画を描いていました。

しかし、恐れていたことが起こったのです。フランス国王のルイ12世がミラノに侵攻してきて戦争となったのです。フランス兵は騎馬像の模型に矢を射かけてボロボロにしてしまいました。ダヴィンチは身の安全を一番としてミラノを去りフィレンチェに戻ることにしました。

戦争でイタリアのミラノに侵攻したルイ12世は、壁画に描かれた「最後の晩餐」を見て感動しました。遠近法を用いて壁の中にもう一つ部屋があるように仕上げていたのです。ルイ12世はこれを描いた者を必ず探し出せ!という命令を出しました。

「最後の晩餐」の完成当時、人々はダヴィンチをこう賞賛しました。

「もっとも、威厳ある画家」

「遠近法・建築家・音楽家・全ての徳をそなえた学者」

「技術者たちや熱心な発明家たちとともに活動した人物」

フィレンチェに戻ると、以前のような活気はなく絵の仕事も多くはありませんでした。そんな中でダヴィンチはひとつの祭壇画の仕事を受けます。今のフィレンチェの重苦しい空気を変えるための力になりたい。元気のない人々を優しく包みこんでくれるような、癒してくれるようなマリア様を描きました。

それが

「聖アンナと聖母子と洗礼者ヨハネ」でした。この絵が公開されると大勢の人々が一目見ようと修道院に押し寄せました。人々にとってこの絵は救いの象徴のように思えたそうです。また、若い芸術家たちに強い影響を与えました。

しかし、

イタリアでは悲しいことに各都市間の抗争が多発し、フランス・ドイツ・スペインなどとの戦争も悪化するばかりでした。そんな中、軍事技師としてのダヴィンチをチョーザレ・ボルジアが訪ねてきました。上空から見た地図を描いてほしいと。当時はまだ飛行機もなかったので、測量と数学で望んだ地図を描きました。それが

「イモラの地図」です。まるで航空写真のような精密な地図でした。

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ミケンジェロとの芸術合戦

フィレンチェ政府からの壁画の依頼を受けました。「アンギアーリの戦い」の題材でした。アンギアーリの戦いは60年前にフィレンチェがミラノに勝利した戦いの絵でした。ダヴィンチの反対側では、ミケランジェロが彫刻で同じ題材のものを作成します。ミケランジェロは誇り高き彫刻家と言われ、「ダビデ像」は天才と言われた男であった。お互いに天才同士が同じ空間で全力を尽くします。良いものができないわけがありません。

同時期にダヴィンチは、とある女性の肖像画に着手していました。彼女の名前はリサ・デル・ジョコンド。夫から「モナ・リザ(私の貴婦人)」と呼ばれていました。

1505年6月6日。突然に大雨が降ります。嵐でベッキオ宮殿の壁に雨水が染み込み壁画の絵の具を溶かしてしまったのです。溶けてしまった「アンギアーリの戦い」は修復することができず、この絵の制作をあきらめるほかありませんでした。ミケランジェロもローマ教皇の招きでローマへ呼ばれ作品を描き上げることはなく、二人が共作した作品はどちらも完成しませんでした。

そして、「モナ・リザ」も完成したのです。何故、こんなにも「モナ・リザ」は誰もが知っているほど有名なのでしょうか?

実はこの絵には輪郭がないのです!自然界には輪郭は存在しないを基本に光と影だけで描かれているからなのです。

フランスからのお招きで、ダヴィンチはミラノに戻ってくることになりました。フランス人はみんなダヴィンチを丁重に扱い尊敬していました。「最後の晩餐」が凄すぎて、フランス人の心を鷲づかみにしたのでした。フランス国王の希望で「宮廷画家」となりました。

晩年期

ダヴィンチはあまり絵は描かなくなりました。その代わり、様々な研究に取り組んでいます。

  • 力を入れると変形する「流体」の力の研究
  • 天体の動きにの観察に欠かせない望遠鏡のレンズの研磨法の研究。
  • 最先端の解剖学。
  • 空を飛ぶためのヘリコプターの原理。

そしてフランスへの招待を受けて、フランスに行きます。

フランスではダヴィンチのアイデアをいくつか取り入れたと言われているのが、ユネスコの世界文化遺産にも登録された「シャンボール城」です。こうしてダヴィンチはイタリア・ルネサンスの文化をフランスに伝えたのです。

享年67歳。

遺言状として弟子のメルツイに自信の描いた絵画や素描を全てを託しました。メルツイは手稿の中からダヴィンチの絵画に関する考えがわかる文章を抜き出し「ウルビーノ稿本」としてまとめました。

芸術・数学・解剖学・科学・物理学・建築学・地質学・天文学。彼ほど幅広いジャンルで知識を深めた人は現れていません。レオナルド・ダ・ヴィンチはこれからも多くの人々にもっとも有名な「万能の天才」として語り継がれることでしょう。

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