5分でわかる!ライト兄弟

ライト兄弟って何した人か知ってる?もちろん知ってるよね!有名だよね。ライト兄弟は大空に挑んだ、飛行機の開発者なのです!

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生い立ち

1867年ウィルバー・ライト誕生

1871年オービル・ライト誕生

この二人の兄弟はいつも一緒にいるほど、本当に仲の良い兄弟でした。

弟のオービルが何かを思いつき、兄のウィルバーがよく考えてアドバイスするというのが、この兄弟のチームワークでした。

兄のウィルバーが17歳の時、アイスホッケーのけがで前歯5本を折る大けがをしました。口のけがのせいで食事が上手く取れず胃と心臓も弱ってしまいました。そのため口の傷が治った後も数年間寝たきりの生活が続くのでした。

一方、弟のオービルは印刷に興味を持ち、同級生のエドと学校新聞の発行をはじめました。オービルとエドは印刷の仕事を本格的に進めました。兄のウィルバーも手伝うこととなり、週刊誌「ウエストサイドニュース」を発行しました。この新聞は大評判となりました。

兄22歳の時。

ライト兄弟は印刷会社を作り、チラシやポスターなども扱うようになりました。

この頃、流行り始めた自転車は故障も多かった。ライト兄弟は自転車の修理の腕前が良かったので、自転車修理の依頼が持ち込まれるようになりました。いつの間にか、印刷会社より自転車修理の方がお金が儲かるようになりました。

毎日の食事だからやっぱり国産を。

兄26歳の時。

印刷会社はエド・サインズに任せることにして、自転車店を開きました。

兄29歳の時。

空を飛ぶ発明家。ドイツのオットー・リリエンタールに憧れていたが、グライダーで墜落死した。最後の言葉は「犠牲はつきものである。」という言葉を残した。この時にライト兄弟は技術の進歩には勇気が必要なことを知った。ライト兄弟の飛行機の挑戦が始まったのです。

この頃から、鳥の観察を熱心にしました。また、スミソニアン協会へ頼みこんで、最新の航空資料を送ってもらったりもしました。揚力

や推力、抵抗力などを勉強しました。

兄33歳の時

一年中強い風が吹いていて、広い砂地がある場所を飛行機の実験場所にしました。そこはノースカロライナ州キティホークでした。ライト兄弟は第一号グライダー実験を開始した。最初はバランスを確かめるために凧のようにあげてみました。何度も失敗して飛行機の模型は壊れましたが、地元の人の助けのおかげで実験は再開されました。

人を乗せての飛行にも成功しました。腹ばいで飛行機に乗り、120メートルを20秒ほど飛ぶようなスタートでした。

ライト兄弟は実験を終えて、デートンに帰ると自転車技師チャーリー・テーラーを雇いました。飛行機の研究に没頭するために自転車店は技師に任せることにしたのです。

兄34歳の時

2回目の飛行機実験をキティホークで行う。この時はリリエンタールの実験データを基にして揚力を大きくして高く飛ぶ改良をしたのですが、ことごとく失敗しました。今回の実験では、リリエンタールの実験データを頼りにしないことを学んだのです。今後は自分達なりの考え方を発展させることにしたのです。

デートンに帰ってからは、空気抵抗や風が翼に与える影響、方向を変える垂直尾翼などを研究しました。

兄35歳の時

3回目の飛行実験をキティホークで行う。前回よりも揚力がついて高く上がるようになった。しかも垂直尾翼によって方向も自由に変えれるようになった。ライト兄弟の地道な実験結果が結びついた瞬間でした。兄弟はその後、何百回という飛行を繰り返し、操縦技術の練習を重ねました。

セカンドだけどより良いものが安いってうれしいですよね。

兄36歳の時

デートンに帰ったライト兄弟は機体に取り付けるエンジンを求めて、たくさんのエンジン製造会社に手紙を書きましたが、すべて断られます。重さは90キロで最低8馬力以上のものが必要だったのです。そこで、自分たちでエンジンを作ったのです。プロペラも揚力が得るために回転数を上がるように改良しました。

兄36歳の時

4回目の飛行機実験をキティホークで行う。エンジンを取り付けた機体を「フライヤー(飛行機)」と名付けました。

当時は飛行機の開発が盛んでした。飛行機開発の第一人者であるサミュエル・ラングレー教授です。教授にはアメリカ陸軍とスミソニアン協会が飛行機開発の援助をしていました。しかしラングレー教授は失敗続きで援助を打ち切られました。

そして、1903年12月17日午前10時35分。世界で初めて動力による飛行機が空を飛びました!

飛行時間12秒。距離36メートル。高さ3メートル。これが人類史上初飛行の記録でした!

この日の最高記録は、59秒260メートルでした!この歴史的瞬間を見たのはたった5人だけでした。

その後のライト兄弟は改良を重ねて、フライヤー号をもっと高く、長く飛行するようにしました。

ライト兄弟はデートンに飛行機会社を「ライト社」を作り、工場でライトフライヤーの生産を始めました。しかし、飛行機の特許を巡って他の飛行家たちと法廷で争うこともありました。

兄45歳の時

腸チフスにかかり亡くなりました。兄の死後、弟のオービルはほとんど人前に出ることはなくなりました。

弟オービル76歳の時

心臓発作で亡くなりました。

現在ノースカロライナ州キティホークの丘にはライト兄弟の記念碑があります。

この時期はやっぱりカニだよね。

最後に

飛行技術は、これからも進歩を続け、将来私たちが宇宙と地球の間を行き来できる時代が来るでしょう。しかし、忘れてはいけません。すべては、小さな町の自転車店の兄弟ウィルバーとオービルによる偉大な発明から始まったのです。

ライト兄弟は飛行機の発明だけでなく、飛行機の操縦方法作り上げたのです。隠れた業績だと僕は思います。すべてを自分で確かめたところにライト兄弟の成功の秘密があったのではないでしょうか。

見るだけ。見るだけ。

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