5分でわかる!シートンって何した人?

現代であるからこそ!シートンを学んでほしい!本当に大事なことが動物記にはある!

シートン動物記を書いた、動物好きな人でしょ!って答えた人は50点です。

シートンは動物を愛する心を広めた博物学者なのです!

ペットに何かあった時、頼れるのはあなたしかいないのです。

生い立ち

本名はアーネスト・トンプソン・シートン。1860年にイギリスのサウス・シールドで生まれます。父は貴族でしたが、仕事に恵まれません。イギリスで破産してカナダに開拓したりと色々と職業と住む場所を転々とします。子供のころから、シートンはあらゆる動物に興味を持ちます。動物の絵を描くことが大好きでした。オンタリオ美術学校で描いた絵は動物ばかりでしたが、動物への愛情が込められた絵は高く評価され一番の成績で卒業しました。シートン19歳の時でした。

卒業後、画家になる勉強をするためにロンドンに旅立ちます。21歳でロイヤル・アカデミー・アーツに入学しますが勉強のし過ぎで身体を壊し、学校を辞めてトロントの実家に帰ります。

22歳の時。

体調を回復して兄の農場作りを手伝います。そこで、アメリカ先住民クリー族(インディアン)のチャスカと運命の出会いをします。動物好きなシートンと森の知恵のことは何でも教えてくれるチャスカはとても、気が合いました。

「森とともに生きる。森にも動物にも敬意を払う。」という考え方にシートンはとても共感しました。また、「白人は狩りを必要以上にして、命を奪いすぎる。森を無くせばみんな住処を失う。」とも。チャスカとの出会いがシートンの今後の原点になる考え方となります。

シートン動物記の中で「サンドヒルの牡鹿」でチャスカのモデルが登場していたと思います。チャスカと出会い、森と命を教えてもらうことで、

「自然や動物が、僕たち人間の手で滅びつつある。僕はみんなに自然の大切さを知ってもらいたい!自然を愛する仲間を増やしたい!それこそが僕が本当にすべきことだ!」

とシートンは一歩を出すことに奮い立ちます。

楽しくしつけるなら「こいぬすてっぷ」に決まり!

30歳の時。

今まで研究してきた「マニトバの鳥類」という論文を書き上げました。これは動物学者や博物学者、鳥類学会などから賞賛を受けました。博物学者として踏み出し始めました。本の挿絵などの仕事もたくさん増えました。今までの観察力から動物大辞典なども手がけました。しかし、自分が伝えたいことと、全然違うことに悩み苦しんでいました。

32歳の時。

シートンは自分の理想を絵で、世界中にアピールすることにしました。その絵が有名な「眠れるオオカミ」でした。捕らわれの哀しさとそれでも野生の誇りを失わない強さがテーマでした。次に、「オオカミの勝利」の絵を描き上げました。人骨をかじるオオカミの絵は自然の支配者である人間が動物に食べられる絵など許せない!と口々に非難され落選しました。この出来事によって、シートンは人間のためだけの芸術には興味がないと言って、画家によって理想を叶えることは諦めます。

34歳の時!「メキシコでオオカミが牛を襲って困るから、動物学に詳しい君になんとかしてくれないか。」という依頼を受けたシートンは、メキシコのカランポー平原に住む、群れのボス「オオカミ王ロボ」と対決することになる。この話はシートン動物記の代表作だ!人間の罠には絶対にかからないオオカミ王ロボ」とシートンとの知恵比べ。ロボに懸けられた賞金は1000ドル!僕は子供の時読んで、最近読んだけどやっぱり面白い。皆さんにも読むことをお勧めする。僕は「ギザ耳うさぎの話」の方が感動して泣けました。

36歳の時。

アメリカの大富豪の娘グレイス・ギャラティンと結婚しました。

国産食だから、安心して家族であるペットに食べさせられます。

38歳の時。

「オオカミ王ロボ」「サンドヒルの牡鹿」「灰色熊グマワーブ」などを次々と出版すると、ベストセラーとなった。誰からも認められる芸術的博物学者となったのです。シートンはもっと普通の人たちに幅広く読んでもらいたいと考えていたのです。

40歳の頃、アメリカ合衆国はどんどん発展し開発が進んでいました。それは自然を破壊し、動物たちを苦しめることでもありました。また、自然を守ろうとするインディアン達を邪魔者扱いしていました。シートンは本や講演で稼いだお金でニューヨークから近いコス・コブという町に3つの農場と120エーカーもの土地を買いました。ここは自然が豊かになるように手助けして、人と動物の楽園にしようと考えてました。

この敷地に学校の子供たちを招待しました。キャンプをして夜になると「森の話」、「狩りの話」、「流れる川や大地の話」、「気高いインディアンの話」など、親友であったチャスカから教えてもらった話を子だもたちに聞かせたのだ。

インディアンのように誇りをもって、生きることの素晴らしさを受け継いでほしかったのだ。子供たちは率先していろんなことに挑戦して善い行いをしようとしました。そして、勇気と責任感のある少年に育っていきました。

この運動はウッドクラフト・インディアンズ(先住民の森の知恵)と言ってボーイスカウトの前身なのです。

ワンちゃんの皮膚病って意外と多いから要注意だよね。放っておいてもよくなりませんよ。

60歳以後。

「自然保護の活動」に熱心に取り組みあらゆる法律にも関与するようになる。こうした地道な活動が実を結び、各地で自然保護区が作られるようになりました。

享年86歳。

シートンの遺言により遺灰は空から山へまかれました。彼が蒔いた「自然保護」という小さな種は彼の意志を継ぐ人々によって育まれ、大きな樹となって、今もなお、私たちの生活に息づいています。

最後に

野生動物保護や動物愛護、自然保護は、今では守らなければならない優先順位がとても高くなっています。我々人間が自分たちだけのことを考えて自然を破壊すれば野生動物が住む場所を無くしてしまいます。住む場所がなくなれば動物たちは食べ物を奪い合って、絶滅種する動植物がまた増えるでしょう。地球の生態系を壊しているのは我々人間なのです。多少不便でも我慢できる動物になることを選択しませんか。シートンの蒔いた種を我々が受け継ぎましょう。

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